私はカサンドラになりやすい条件に当てはまっていた
こんにちは。
安谷屋まゆ子です。
今日から私がカサンドラになった経緯から立ち直り今に至るまでのことをお伝えしていこうと思います。
なぜカサンドラとなったのか
カサンドラは「カサンドラになりやすい人」と言うのが自助会内などではよく話に出てきます。
・長女もしくは一人っ子
・自身の生まれ育った環境
・親からの虐待(身体への暴力や言葉での暴力)
・自己肯定感の低さ
・自尊心の低さ
・真面目
これらがよく出てくる条件です。
私はこれらのほとんどに該当していました。
私の場合
・一人っ子
・転勤族
・毒親育ち(主に母からの言葉の暴力)
・自己肯定感の低さ
・自尊心の低さ(つい3年程前までは自分は世の中に不要と思ってました)
・真面目(自身ではよくわかりませんが周りからはよく言われます)
なぜこのような人がカサンドラに多いのか
やはり家庭環境や親との関係性が大きいと思います。
ここが満たされていないと自己肯定感や自尊心が低くなることが多いからです。
私の場合子供の頃から自分がこの世に存在している意味がないと思っており何度も自殺を試みたりしてましたし、中学生の頃には「自律神経失調症」の診断を受けていました。
そして無意識に「親の顔色を伺う、怒られないように頑張る・耐える」ことをしていたと思います。
ここで人並み以上に「頑張る」「耐える」と言うことに対しての忍耐力がついたと思っています。
この忍耐力がカサンドラでは非情にもカサンドラの症状を強くしている要因の一つでもあると思います。
発達障がいの特性として一般的な常識が通用しなかったり、空気が読めない、人の気持ちを理解しにくいなどがあります。
そこを周りからなかなか理解してもらえず孤独感でいっぱいになっていきました。
私の場合
・子育ては「自分のしつけや子育ての方法が間違っているのではないか」そう思ってママ友に相談しても「そんなのウチも同じよ〜」で終わり「程度の違い」まで分かってもらえず相談することをしなくなった。
・両親に息子と主人の発達障害について話をした時に特に母は拒否反応をした。
・義母からは「ウチには障がい者なんていないのになんで◯◯(息子)は何でそんな障がいなんて…」そう言われ続けていました。(この時主人はまだ診断を受けていませんでしたが私の中では義母と義祖父は発達障がいがあると確信していました)
・実家に行くたびに母から他の子と比較されそれは私が子育てを怠けているからだと言われ、助けてもらうことはできない…と言うよりは頼りにしてはいけないと思った。
・主人は家庭(家族)には無関心であることが息子が生まれてから分かった。
このようなことから無意識に「自分がしっかりしてやっていかないと」と言う思いが無意識でありながら沸き起こり「頑張る」を人並み以上にやり続けてきたこと(周りに頑張ってると言われても何を頑張っているのか全く分かっていませんでした)によってもともと自律神経失調症など精神的なことから発症していたものを実感することもなくやり続けてきた結果カサンドラとなっていました。
私がカサンドラだった頃の症状
・1日の中でも感情の起伏が激しくイライラとすることがほとんど
・イライラを我慢していたのでそれが爆発した時には主人や息子を攻めるようなことを言ってしまう
・言ってしまったことに後悔をして落ち込む
・体が重く怠いけど家事などしければならないと思って無理をしてやっていた
・転勤により環境が一変したことでアルコール依存になりかけていた
・睡眠障害になった
・食事を取らなくなりどんどん痩せていった
・ただただ理由もわからず涙が出てくることが毎日のようにあった
・自分がいるせいで家族を不幸にしていると思っていた
・自殺を常に考えていた
と、このような状態が無意識だった頃を含めると15年ほど続いていました。
これが私がカサンドラになっていた時です。
次回は何をきっかけに抜け出せるようになったのかを書こうと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
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